本日は、オードリー・ヘップバーンの名言を題材にして、魅力的なファッションを楽しむ女性の考え方と生き方について書いてみたいと思います。
わたしにとって最高の勝利は、
ありのままで生きられるようになったこと、
自分と他人の欠点を
受け入れられるようになったことです。
彼女は、私たちと同じように、コンプレックスを持っていました。
しかし、彼女はそのコンプレックスを昇華させるため様ざまな研究を重ね、妖精のような可憐な姿でスクリーンに登場しました。
つまり、魅力的な女性となるためには、まずは自分の欠点を受け入れる必要があるのです。
そうして、そのコンプレックスを克服することで、より魅力的な自分のスタイルを手に入れることができるようになるのです。
もし、自分の欠点を誤魔化して生きようとすると、どうしてもココロの奥底に歪みができてしまいます。
それは、臭いものに蓋をしているだけの状態だからです。
誰にでもコンプレックスはあります。それを昇華させ、自分自身に自信を与えなければ、人は自分以外の人に対して寛大なココロを持つことはできません。
しかし、オードリー・ヘップバーンのようにコンプレックスを昇華させありのままに生きられるようになると、人は自分以外の人に対して寛大になれるのです。
それは、自分を受け入れることで、ココロに余裕が持てるようになった状態だからです。
オードリー・ヘプバーンの名言の中に、面白い言葉があります。
いばる男の人って、
要するにまだ
一流ではないってことなのよ。
そういうことです。
先ほど書いたように、ココロに余裕があり、成熟した大人であれば人に寛大になれるはずです。
もし、威張りちらすような行動をとる人や人を否定ばかりする人に出会ったら、ココロに歪みを持っている人か人間的に未熟かどちらかと思って間違いないでしょう。
これは、お洒落の世界においても言えることだと私は考えます。
例えば、人のファッションに難癖つける人など。
自分の考えを持つことは、とても大切なことです。
しかし、自分以外の人の考え方を否定し、自分の考えを押し付ける行為は品位に欠ける行動です。
例えば、スタイリングで質問された時に「私なら、◯◯な感じにすると思います。なぜかというと・・・」というように、聞かれたことに対して自分の考えと、その理由を明確に伝えられるコミュニケーションは健全だと私は考えます。
しかし、なかには相手のためを思って言ってあげている。
と善意を振りかざして、聞かれてもいないのに「◯◯の方が良いんじゃない? なんで◯◯なの?」という発言をされる方がいます。
もし、そういう方に出会った時は、にっこり笑顔ですり抜けましょう。
人間的に、未熟な人の相手をする必要はありません。
自分らしく生きると、必ず出る杭打つような相手に出会ってしまうものです。
そういう相手に対して、たとえ嫌な気分になったとしても喧嘩ごしな態度をとるのではなく、未熟な相手からの自己中な愛を受け流すことができるようになれば、ストレスが減り人生はより豊かになります。
オードリー・ヘップバーンの名言は、
きっとそんな心の豊かさと平穏を得られたことにより、人生を充実させることに成功したことを伝えている言葉なのだと私は考えます。